その1

 「うきしま通信」の記事を読んで、自分の家にあるムクの木について書いてみたくなった人が現れ、次のような記事が「うきしま通信」に掲載された。
「椋の木の事
大野弘さんのムクの話を読んでいるうちに、わが家のムクの木の事が書きたくなりました。(巨木でも名木でもありませんが)
下鴨あたりに河原の続きややぶが広がっていた頃の名残りと思われます。亡くなった私の祖母が大正の始めに、18才でお嫁に来た時、鞍馬街道に面しているかやぶきの家でしたが、まだ隣家との境などはあまりはっきりしてなかったようです。南側の今、隣家のあるあたりにお稲荷さんがまつってあり、おまいりに来る人もけっこうあったそうです。そばにムクの木があって現在、庭のはじっこにあるのがそのムクというわけです。
幹の中程のホコラに別に信心深いわけでない祖父が、いつもきつねの人形と盃の様なものを置いていました。
なぜかその人形たちはすぐにひっくり返り、祖父は一所懸命、棒で直していました。
その木は(胸高周り139cm)毎年隣家に枝をブツブツに切られてしまいます。大きなきのこが何種類もはえています。お稲荷さんがあった頃はまだ幼木で、もしかしたら大きな木がそばにあったかもしれません。
ムクは庭に3本あり、一番奥のすみに立っているのが一番大きく(胸高周り185cm)やはり3方の枝はたえず切られ、1方だけに枝を広げて夏の間、庭をすっかりおおっています。
以前この木の西側には松竹の撮影所がありました。
フィルムから発火し、火災がおき、大変だった事があるそうですが、このムクに放水して、延焼をまぬがれた、と聞いています。
春になるといっせいに芽吹き、いっせいに花を落とし、あっという間に緑の枝を伸ばします。実が黒く熟す頃には小鳥たちが大騒ぎをします。紅葉して葉を落とし庭一面にしきつめられる落葉も美しいものです。
庭には植えた覚えのないエノキやナンテンやマンリョウやサンショの他わからない木の芽があれよあれよという間にのびてきます。
小鳥たちのしわざでしょう。
夏の暑い盛り、「ただいま!」と帰ってくると、スッと涼しく感じるのは庭の木のおかげだと思っています。
町を歩いて大きな木に出会うとうれしくなります。のびのびと枝をのばしている木を見ると胸がスッとします。
大野さんの文を参考に、あちこち歩いて、いろいろな木に出会いたいと思います。」

その2

 ある日、遊びがてら、「京都の虚樹迷木巡り」をインターネットの検索にかけてみた。驚いた事に一件ヒット。「木の情報発信基地」というサイトの中に、樹木に関連した膨大な書物を紹介した深くかくれた場所がある。当時はそのまた奥の未入手本の一つとして「京都の虚樹迷木巡り」というのが載っていた。今は木に関する書籍の「樹木、木の実……ガーデーニング、香り」の分野に掲載されている。どうしてこの冊子の存在が知れたのか不思議でならなかった。早速、このサイトを運営する中川木材産業の社長さん中川勝弘さんにメールをして訪ねてみたが、「どうしても思い出せない」という返事で、未だに謎である。忙しい社長業のかたわら、愚問に丁重に返答をくださったお礼に「京都の虚樹迷木巡り」のコピーを2分冊に仮製本したものをお送りした所、名刺入れにもなっている木製の電卓と木製の名刺用紙を頂戴した。そのうえ光栄にも、彼のサイトにその表紙が紹介された。

その3

?「インターネットで京都の大きな樹についてリサーチしていたところ、京都の虚樹迷木に行き当たり、読ませていただきました。みんなの生活の中で大切にされてきた木が登場し、とてもうれしくなりました。立派な謂われのあるような木でなくても、お寺や神社に生えていなくても、木はずーっと大切にされてきたんだと思いました。京都の街に長らく住まれ、その中で目にしてこられた木々は生きてきた空間と時間と深く結びつき、街への愛があふれています。
 なのに昨今、大きな樹が簡単に伐られてしまっているのは本当に悲しい。私が京都の大きな樹についてリサーチをしているのは、他でもない、私の住んでいる建物の隣にあった樹高30メートルくらいの大きな銀杏の樹が無惨に伐られてしまったことに端を発しています。銀杏の樹のそばに生えていたエノキも半分伐られたのですが、枝が隣の屋根に落ちるという事故があり、伐採作業が中止され、上はちょん切られたものの元気に今年も葉を茂らせています。これも結構大きなエノキです。
? 銀杏の木で、個人の土地とか路傍に生えていて、大切にされているような樹をご存じないでしょうか? 自分の生活の中で大切だった樹を通して、世界を改めて眺めてみたいと思っています。よろしくお願いいたします。
? どういうきっかけでこのシリーズを始められたのですか?」
? 「やっぱりみんな神社や公共の場所に生えているのですね。リストの樹を尋ねてみます。
 伐られてしまった銀杏は今、金剛能楽堂が建っているところに生えていました。樹の精が出てくる曲を舞ったりして、日本の伝統文化や心を代表しているかのようにふるまっている人たちがまったく形だけだということを思い知らされた事件でした。寄附を募るパンフレットでは銀杏の樹を残した設計プランでいかにも緑を大切にするようなメッセージを流していました。家元は樹があるのすら知らなかったとか、表から見えないところにあるから伐ってもいいんだと説明会で言い逃れをしていました。こういうのを後押ししているのが、日本古来の森の文化と言って旗振りをしている梅原猛です。近所の人たちでなんとか残してもらおうとしたのですが・・・。このことがあって都市の樹に興味をもつようになりました。
 腹を立てているだけでは馬鹿馬鹿しいので、何かポジティブなことをしたく、身近な樹が伐られるというのはどういうことかを体験した者として、何か形にして、樹の持つ大切さを表したいと思いました。近所の人が銀杏の樹の美しい姿の写真を以前から撮影していたのと、テレビにこのことが取り上げられたり、また、私自身も伐られるところをビデオに撮影したりしていましたので、それを使ってビデオの作品にしたいと思っています。そんなこともあり、樹のことを調べたり、街をうろうろして樹を見て歩いています。神秘主義になったり、金剛流を悪者にしたりするのは避けたいし、どんな風に発展させるか、思案しています。
 古川商店街の近所のえのきを探しに行きましたが、見つけることができませんでした。探し方が悪かったのでしょうか? 樹と人間が街の中で共存しているようなところを見つけたいのですが。北野商店街の方に、お店の中に樹が生えているところがあるという話を聞いたことがあるのですが、どこかご存じでしょうか? ご存じでしたら、教えていただけませんでしょうか。
 最近、樹を探して上を向いて歩いています。」

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