洛中洛外 虫の眼 探訪

洛中生息 「地上げや日誌」その後
      ── 資料の束を紐解く
2010年08月27日(Fri)

1 萩原魚雷「借家と古本」
scrap sumusu 右のような新聞の切り抜きが、ノートに貼付けてあった。「三月書房」の見出しに引かれて読み始めた。2001年の記事であるが、当時はまだ地上げにあった余韻が残っていて、何かドキッとしたことを思い出す。記事は、知る人ぞ知る同人誌「sumus」の五号に萩原魚雷が書いた「借家と古本」という暗いエッセーを紹介している。この記事を見て、三月書房で初めて目にしたsumusを買い求めて読んだことを思い出すが、今の狭い家のどこにも見当たらない。捨てた覚えはないから、どこか本箱の隅にでも隠れているのだろうが、夏の蒸し暑い日に家捜しする元気もない。幸い、資料の束の中に当該記事をコピーしたものが挟まっていた。さっそくsumusで開き、読み返す。
 著者は、タバコを買いに、ふらっと表へ出たところ、アパートの大家に呼び止められ、さらっと「アパート壊すんで、更新料は入らんし、考えといて」といわれて、転居するにしても礼金、敷金、不動産屋への手数料、引越代等々、相当物入りになのに、立退料のことなんか全く知りませんって風だし、転居通知や電気、ガス、水道の手続きは煩わしい、それに何よりも、買ったけど全く読んでいない本の山をダンボールにつめることを考えると、ため息が出る。暇さえあれば自転車の荷台に本を詰め込んだ段ボールを載せて、売れそうにないのに古本屋へ走っていた自分の姿と重なる。彼は彼女と一緒に暮らすつもりで、一部屋分の本を処分したこともあったと書いているが、その落ちは、『ある日突然「別れましょう」といわれ、しばらく立ち直れなかった』というものである。あたしと云えば、路地奥の裏口から地上げやの手先が侵入するのを防ぐために、トタン製の戸の後ろに高さ2m、幅1m、厚さ1mに本を山積みして、かなりの量の本を処分した。風雨にさらされ、水分をたらふく吸った本の山は、レンガを積むより頑丈で、押されても押されてもびくともしなかった。が、だんだんと一冊、一冊の個性あった本たちが互いに溶け合って一体化するのを見るのはつらかった。
 とりあえず立ち退いた借家は小さく、もうこれ以上本を家にため込むわけにもいかず、職場の居室に私物の本がたまり始めた。退職間際になって、毎日リュックサックを背負って通勤し、少しずつ狭い家に持ち帰っていた。いまは、再度引っ越して少しは本のおけるスペースは増えたが、職場から持ち帰った本のため既に満杯である。
 年のせいでか、古本や巡りをする日々も少なくなったが、インターネットで注文する癖がついて相変わらず冊数は増えている。幸い、今度の家は借家ではないので、「あとは野となれ山となれ」ですますことができるとたかをくくっている。

2 新聞に取り上げられた「地上げ」
 地上げ記事の切り抜きが幾つか出てきた。立退料を手にする直前に殺されてしまった恐ろしい事例から、住民が団結して17年かかって解決を見たものまで、いろいろな決着があるものだ。地上げやの脅し、嫌がらせの手口は、私たちが経験したのと大同小異である。いくつかの例をご参考までに紹介する。

その1(記事を読む)
 3,500万円の立退料を手にする直前に殺され、海にに捨てられ漂流遺体で見つかったた81歳の大阪東成のおばあさんの事例。

その2(記事を読む)
 バブル期に50億の担保のついた長屋からの追い出し攻勢に耐えて17年間団結してた戦いつづけ、借地権を考慮した格安の買い取り価格で買い取れた堺の長屋の住民たちの事例。

その3(記事を読む)
Ginza 8 裁判にまでなって勝訴判決を勝ち取ったものの、手にしたのは……。
 ?東京銀座の長屋の老夫婦、立ち退き裁判で不動産屋の請求が棄却されたものの,その後は?
 ?「空き家に豚入れるぞ」「はよ死ね」「ガス、水道、電気とめたる」「火に気をつけや」とさんざんいじめられ、慰謝料などの支払いを求める訴訟を起こした大阪城東区の長屋の住民12名の事例。大阪高裁で勝訴が確定したものの、手にした慰謝料は、一人当り50万円、全部で700万円。
kiji3-3 ?京都市南区の借家に高齢の母親と住む53歳の女性が、脅迫的な言動で立ち退きを迫られ、壁を接する隣家の空家が取り壊され裸同然、通路に廃材を散乱させられるなどさんざん嫌がらせを受けて、200万円の損害賠償を求めた事例。京都地裁は50万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
      
その4(記事を読む)
tsuyu no i 京都西陣に住む「梅雨の井」を守る住民20世帯が移転交渉を弁護士に委任したことに腹をたて、深夜マイクで「キムチ畑をつくる」「豚小屋をつくる」「うそつき!」などと威圧的な言動を繰り返した不動産業者らを、西陣警察署に名誉毀損で刑事告訴した事例。西陣署は不動産会社のニチイハウジング代表小泉明彦、下鴨北園町の建設会社役員の田鍋正明と不動産業の八木実を逮捕して取り調べたようだが…。

 この最後の事例の不動産業者小泉明彦と八木実は、私たちが戦った相手である。もう一人の田鍋正明と云う輩は、私たちが500万円の立退料で立ち退いた後、その家に住み込でいる「占有屋」と称される輩ではなかろうか。「占有屋」とは何者か、旧わが家に占有屋が住みこむことになった事情については後述する。その前に我らが弁護士國弘正樹氏のことと、西陣の事例について知る切っ掛けとなった、電版「地上げや日誌」についてしるす。

3 國弘正樹弁護士
Kunihiro 不動産やとの立ち退き交渉の代理人をお願いした都総合法律事務所の國弘正樹弁護士は、市民運動をやっている人たちの間でもよく知られていて、私もそのつてで堺町御池にある吉岡御池ビル八階の事務所を訪れた。弁護士を雇うのは初めての経験でもあり、勝手が分からず、とまどいぎみに事務所のドアをたたいたところ、当の相手の「小泉」と同姓の知り合いがそこで働いているのを偶然見かけて、何か親しみを覚えた。「國弘さん」も、上の新聞記事の写真にあるような温和な風貌の方で、最初からすべてをまかせられると直感した。「國弘さん」の方もたいした事例でもないのに、多忙きわまりないなかご自身が心よく引き受けて下さった。
 ところが、相手の小泉は弁護士に振られたことに腹を立て、弁護士との交渉を拒否、「自分らのやり方でやる」といって、我家と実家に直接に波状攻撃をかけてきた。それ以後、八月まで國弘さんの出番はなかった。わたしは、波状攻撃に堪えかねて、二度ばかり相手と玄関の格子戸を挟んで、相手の小泉の「脅し文句」をうつむいて黙々と聞いていた。國弘さんから、「相手になるな」とお叱り(アドバイス?)を受け、それ以後は徹底的に居留守を決め込み続けたのである。その甲斐があって、ついに相手もしびれを切らして「どうにかしてくれ」と國弘さんに泣きついていった。國弘さんは、立退料が500万になって初めて私に取り次いでくれた。
 上の新聞記事にあるように、國弘さんは、当時、弁護士七人を抱える都法律事務所の所長として多忙な毎日であったが、「ボス」になって生活も安定したが、しがらみが多くなり「澱(オリ)がたまった」ので、「弁護士を始めたときの気持ちでやり直したい」といっておられた。私の一件を引き受けていただいたちょうどその折、1999年6月に京都市弁護士会の「当会会員の裁判官不採用に関する声明」(会長村山 晃)なるものが公にされていた。不採用になったのが國弘弁護士であった。これは、國弘弁護士が、弁護士任官制度によって、弁護士からの裁判官になるべく応募したが、明確な理由もなく不採用になったことに対する抗議声明である。
 一年後、しがらみから抜けるため今度は、日本弁護士連合会が「弁護士過疎」対策として打ち出して、公募していた島根県浜田市の石見に新設される「公設法律事務所」の弁護士に応募された。応募開始からすでに二ヶ月が経過していたにもかかわらず、即「採用」。全国に何万といる弁護士、誰も行きたがらなかった。それもそのはず、「収入は五分の一」「築20年のビルの中、広さは八分の一」とか。「でもお金に代えられない魅力がある」と國弘さんは赴任されていった。このことはしばしば新聞にとりあげられていて、自分のことのようによろこんで読んて、切り抜いておいた(切り抜き記事へ)。
 新聞記事やジャーナリストの櫻井よしこがその一端を伝えているように超多忙の三年間の任期を全うされた。この間の活動についてはご本人が「季刊刑事弁護」に書かれている。
 その後、公設の「石見ひまわり基金法律事務所」は、弁護士法人みやこ法律事務所の浜田事務所として残り(この辺の事情に付いては日本弁護士連合会のHPに書かれている)、國弘さんは島根に残ったまま。2005年に同法人の松江事務所が開設され、現在ではほとんど松江で仕事をされていると伝える。(みやこ法律事務所たより「大文字」2005年夏号)。また、島根大学大学院法務研究科教授として、将来、社会的正義を担う若者を育てておられる。

Koizumi1 一方、相手の小泉明彦は時々地元紙の社会面を汚していた。2001年6月13日付けの左の記事が目に留まって小踊りしたことを思い出す。監禁傷害の疑いで八木実と二人して京都府警に逮捕されて調べられているというものであが、琵琶湖上のプレジャーボート内に監禁されたのは新聞では南区の会社役員(35)とあり、彼が地上げされた土地の登記上の所有者である岩本明だと思い込んだ。しかし、会社役員と云うのは、ジャイブメディアとういIT関連のいかがわしい会社の代表者、東藤秀明であった。「ジャイブメディアはどうなった」という2チャンネルのスレッドに次のような書き込みを見つけて分かった。

470 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/06/13(水) 22:50
東@、琵琶湖でボートに監禁されて半殺しにされたらしい。
今日、監禁した男二人が逮捕されました。新聞出てたよ。

471 名前: 神崎 投稿日: 2001/06/14(木) 03:07
どの新聞??

472 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/06/14(木) 11:25
京都新聞 6/13 夕刊
(筆者註 以下は新聞記事を引用、省略)

473 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/06/14(木) 12:03
@@はいらないよ。
(筆者註 新聞記事の引用で、小@@@容疑者と八@@容疑者とされていたことに対するコメント)

474 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/06/14(木) 13:15
要は東○が、借りた金返せない、ってことか。でも、随分やばいとこから
借りたんだね。ベンチャーのなれの果てってこんな話ばっか。

475 名前: 名無しさん@どっと混む 投稿日: 2001/06/14(木) 13:18
ということは今は警察が保護してるって事だろうから
あとのやからは手出しできないな。
しかし2億ねー。東@は立派。

 ここに出てくる東@はITベンチャー企業の代表者の東藤秀明のことである。スレッドを読むと彼は投資家を募って金を出さしては返済せずに逃げ回っている様子。小泉も2億円融資して損したようである。スレッドでは小泉は『男気がある人間だけどふらふらなんでしょう。被害者ですよ』と評されている。同じような被害者の一人として「不倫は文化」といった石田純一の名前も取りざたされていた。

734 名前: 石田純一 投稿日: 01/08/30 11:46 ID:P29c7PBY
この度は息子の事件で大変ご迷惑お掛けいたしました。
東藤さん、息子の弁護士費用、公演中止の損害補償等で
お金が早急に必要です、出資金の返還お願いしますよ、裁判沙汰には
したくないから、、電話してください。
赤坂の例の店にでもいいからさ、、。

 息子は、いしだ壱成。2001年8月20日に大麻・LSD所持で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けている。
この書き込みはうそ、冗談であろう。
閑話旧題 (このスレッドもっと読みたければここをクリック)

 次に目にしたのは2003年7月30日付け記事である。2 新聞に取り上げられた「地上げ」で書いたように、移転立ち退きに絡んで西陣の住民から名誉毀損で訴えられ逮捕されたと云うものである。下に再度掲げる。
Koizumi2

 実はこの件に関しては、当事者である住民グループの代表者の山本さんから既にそのような戦いがあることを知らせるメールをもらっていた。その間の事情については次の4 電版「地上げや日誌」に記す。

Koizumi3 3番目の記事は、残念ながら今まで見落としていたのだが、今回の資料整理に当ってネットで見つけたものである。Nikkenn Timesと云うサイトに右のような京都新聞(電子版)の記事の冒頭部が載っていた。日付は2008年1月18日、最近の話である。続きを読みたくて、京都府立総合資料館でマイクロフィルム化されている過去の京都新聞を繰ってみたが当該の記事は見つけることができなかった。見出しによれば、偽造不動産書類を裁判の証拠として提出した容疑で、またまた逮捕されたと云う。逮捕したのは京都府警組対二課と上京署である。「組対」と云うのは「組織犯罪対策」の略で京都府警の組対二課は、競売入札妨害なども扱っている。この競売入札妨害については後の5 占有屋の節で考えてみたい。この件に関しては、知りたいことは山ほどあるが、深入りはやめておこう。

4 電版「地上げや日誌」
 「地上げや日誌」の原稿を何部か印刷して、ご心配をおかけした人やお世話になった方に見てもらった。その反応を見て、このままの形では無理だと分かっていたが、あわよくばどこかで商業出版してもらえないかとそのままの原稿をいくつかの出版社に送ってみた。まず地元の京都新聞出版センターと、かもがわ出版。いずれも「昨今の出版事情では……」「自費出版なら相談にのります」というものであった。そこで当時よく宣伝広告されたいた「あなたの原稿を本にします」という大手の3社、新風社、碧天舎と文芸社へ原稿を送ってみた。たいそう長いほめほめの書評が添付され、その後に「初期の出版費用を出していただけるなら、責任を持って全国規模で宣伝し、書店への販売活動をさせていただく」というものであった。このような出版形態を三者三様に「共同」、「協力」、「共創」出版と称していた。それでは初期の出版費用というのはどのくらいかというと、だいたい、1000部で150万! 「自費出版なら110万位で仕上がりますが、出版後の宣伝活動が違います」という返答であった。40万が宣伝費名目で取られる訳である。やーめた。
Map Fan ちょうどその頃、時間をかけず、すぐにただで原稿を載せてくれるサイト「電版」というのがスタートしたことを知った。そこで出版(?)してもらったのが電版「地上げや日誌」である。当時このサイトは結構話題になっており、コンピュータ雑誌にも紹介されていた。上の写真がMacFanという雑誌に掲載された紹介記事で、「電版」のトップページの画面が載っている。そのなかに、電版の編集部小野さんが、お薦め本として「地上げや日誌」をトップに紹介してくれたのが写っていた。実は、彼も当時家主と水漏れの件でもめて苦労した直後だったので、大変面白く読んでいるというメールをくれた。その関係で紹介してくれたのだと思う。彼曰く
「マルサの女」等の故伊丹十三監督あたりが、作りそうな映画みたいです。大変おもしろく、会社で読んでいると熱中してしまい仕事になりません。(笑い)

 長く会っていなかった高校時代の友達に、メールで電版「地上げや日誌」を添付して送ったところ、
 出社してメールを開けたら、おもろいドキュメントが添付されてるやないか。おもろすぎてのめり込むこんでしもたがな。滅多にでけん体験やで。何はともあれ、事故もなく戴くものを戴いて、目出度しめでたしでんな。ただ、その間の費やしたエネルギーには感服します。
 ところで、登場人物の公さんなる人物は、下の妹さんような気がするが、兄に似てなかなかの役者さんでんな。それと地上げを巡る日本文化とフランス文化のやりとりは一見に値しますネ。
 堅気のサラリーマンには付き合えきれん人種を上手にあしらうたところをみると、学校の先生も彼らと似たようなジャンルに分類されるのかな、と思ったりしますが如何でっか。その後の顛末等は改めて聞かせてちょうだい。
というような返事をもらった。
 こんな風に、気楽に楽しんでもらえるのは「電版」だからと気が付いた。わざわざハードな形で出版し、お金を払ってまで読んでもらうようなレベルのものではないのだ。「電版」だと読んで捨てるにも手間はかからない。さる不動産協会のHP担当者からメールで、面白いので「不動産おもしろサイト」という項目でリンクを張らしてもらえないかという依頼もあった。まさか不動産業界からこんな依頼があるとは思っても見なかった。こちらの手のうちをわざわざばらしてしまうようなものであるが、O.K. した。こんなのりで読んでもらえばいいのだと悟った。
 ところが驚いたことに、今現在同じような経験している何人かの人から、「大変参考になった。こちらもがんばります」「もう少し詳しく情報を教えてもらえないか」というようなメールが舞い込んだのである。その第一報が、ホームページ「梅雨の井」管理人の山本さんからのメールであった。「地上げや日誌」の中ではすべて仮名にしてあったのに、ちゃんと「ニチイハウジングの連中と年末からやりあっているところです。住専の不良債権となった600坪を競売入札したのが、八木と小泉でした。非常識な言動にたいして告訴中です。」とあった。その結果は先述の記事にあった通りです。
 実は、私は、地上げ以前に「梅雨の井」のあった当該地に訪れ、そこにあった八雲神社と神木のクロガネモチの大木が無惨にも破壊伐採された跡地を実見し、そのときの様子を「梅雨の井」の代表者の一人である中川さんに詳しく伺っていた。そのとき伺ったことは「京都の虚樹迷木巡り モチノキ」の聚楽第のモチノキの節に詳しく書いた。それで、そのことも含めてお返事したところ、折り返し「小泉たちが、泣きをいれるまで、とことんまで追いつめる決意です。住民を脅した報いと償いをさせなければなりません。」と力強いメールが折り返し届いた。
 西陣の600坪の土地のその後の展開は追っていないが、10年前と何も変わっていないことであろう。残暑厳しい午後のひととき、久しぶりに梅雨の井を訪れてみた。入り口には「立入禁止 敷地内はキケンですので無断立入を禁止します 所有者 八木 実 TEL 075-492-9300」のビニール製のつり下げ札は丸まってしまい、用をなしていない。
tsuyuno-i 裏に回ると、針金の柵も倒れて、敷地内は草ぼうぼう、ただ一本エンジュの高木が真っ青な夏空に向かって伸びていた。今丁度花盛り、黄色い小さな花が風もないのにぽつぽつとおちてくる。梅雨の井の駒札も風雨にさらされ、何とも寂しい限りである。敷地をぐるりと取り囲んでいる民家は、京の町中の暑さに沈んでいる。物音一つしない。梅雨の井を守る会のポスターとノートが日に焼けてぱりぱりになっている。でも、暑い中訪れる人もあると見え、ノートの最後には、つい先月の7月11日の日付で「梅雨の井に 蛇苺ある 葎 かな 蝸牛」と書き付けてあった。私も駄句を
 「小泉涸れ 八木も実らず 夏の空」  楊柳木

 第二報は、「京都の山本氏から紹介いただきました三浦と申します。小泉の件で情報があれば教えてください」と云うものであった。続いて「彼は私の寺に潜り込み乗っ取りを仕組んでおり大変迷惑をかけられております」とあった。当時、まだ現役で忙しさにまぎれて、通り一遍の返事しか差し上げず、それっきり。どこのお寺かも聞きそびれてしまった。いま、この記事をまとめるにあたって大変残念に思っている。
 ここ数年来、妙に気になるお寺がある。河原町今出川の一角を占めている了徳寺である。今出川通りに面した門は崩れかかり、その屋根にはブルーシートが被せてあり、境内の木々はずっと以前から伸び放題のままであった。ところが最近少し剪定され、裏口に大変控えめではあるが「了徳寺の自然と建物を守る会」と表札がかかり、ブザーも取り付けてあるのに気付いた。通りかかったついでに何度か押してみたが、応答はなかった。このお寺のことかもしれないぞ、と思うようになった。今回、先にも出てきたNikkenn Timesに右のような京都新聞(電子版)の記事の一部が転載されているのも見つかった。

 了徳寺の購入話で4000万円詐取 京都府警、容疑で派遣社員逮捕
  2008年02月05日 23:27 京都新聞
  ... ず、03年4月に代表役員代務者が16年ぶりに就任した。
  近くに京阪出町柳駅があるなど立地条件が良いため、以前から
  不動産ブローカーの間で注目されていた、という。

 これだけでは何のことか分からない。さっそく府立総合資料館で、京都新聞のマイクロフィルムを繰ってみた。その結果2月3日の三面記事に該当記事を見つけた。逮捕された派遣社員の名前と詐取されたのが大阪のコンサルタント会社社長であることが判明したが、小泉や八木の名前は出ていなかった。ただ、事件があったのは、新聞記事によれば2003年の3月から10月にかけてであった。『小泉らが実家の寺に潜り込み乗っ取りを仕組んでいる』と三浦さんが連絡されてこられたのは、同年の8月11日である。
 氣になっている人は何人もいるようで「市内最大の廃屋」と題するブログで、いろいろな人がいろんなことを書いている。
 梅雨の井を訪れたときに通りかかって、無駄とは分かっていながら「了徳寺の緑と建物を守る会」のベルを押してみた。返事はない。ドアのノッブを回すと、意外やノッブが回ってすんなりとドアが開き、中にスーと入れた。ryoutoku-ji目の前の本堂は開け放たれ、広い縁側の周り廊下には竹や縄などの建築用材みたいなものが散らかっていた。その前にはバイクや自転車が何台か停めてある。整備工事中の様子であった。ずっと奥にある洋風の建物ある。その大きな窓から明かりがもれていて、二人の人影が見えた。どんどん近づいて行くと、向うも慌てた様子で、建物から中年の品のいい女性の方が出てきてこちらへやってこられる。何か聞き出せると云う期待で、「通りすがりの者ですが…」と警戒心を起こさせないように注意しながら話しかけた。しかし、相手はドアが施錠されていなかったのに驚いて、まともの相手になってくれず、追い出された。帰り際、「廃屋だと聞いていたのですが」とつぶやくと「いえ、住んでます」といわれたので、話の切っ掛けがつかめたと思い「地上げの噂も聞いたんですが」と鎌をかけてみた。しかし、相手は冷静に「知らないのはわたしたちだけです」とピシャリと話の折られた。それで万事窮す。何も聞き出せずに忍び込んだドアから放り出されてしまった。これから境内が整備されて行くのを楽しみにして待とう。

 もう,お一方、東京の賃貸マンションにお住まいの方で、不動産業者の理不尽なる立ち退き要求を受けて連絡してこられた。彼は不動産業者による立退き要求に立ち向かうために必要な情報をブログで発信し続けられておられた。その5つ目の記事に「地上げや日誌について」という記事をかいてくださった。以下に転載する。

 リンク集にある「地上げや日誌」の楊柳木さんの気迫は本当に凄い。 
(http://www.denpan.org/book/DP-41-3c-1:(註) 後述する通り現在は閉鎖)
「この世の中まだちょっと骨のある人も居るのだと云うことを、地上げ三十年のプロに思い知らせてやろう」という気迫。
楊柳木さんの受けた嫌がらせは相当に強烈で、裁判で正式に争えば、この嫌がらせは犯罪と認定されるかもしれません。私の場合も地上げ屋の嫌がらせは楊柳木さんの場合に遠く及びません。普段偉そうな事を言っていても、いざとなると腰が引ける人は多い。しかし、この人は違います。徹底的にかつ理路整然と抵抗しています。それどころか、相手の嫌がらせを楽しんですらいます。これから立ち退き要求に抵抗しようという方には非常に勉強になるはずです。是非、参考にして頂ければと思います。


とたいへん持ち上げられてしまい、穴があれば入りたい。彼のブログ、2008年3月9日を最後に、新規記事がないのは、ちょっと気になる。

denpan こんな風に電版の「地上げや日誌」は読まれていたのだが、ある日突然電版のサーバーが壊れて、元も子もなくなった。復旧宣言されてからもう何年も立っているが、復活できていない。2008年から右のページが出っぱなしである。残念に思っている人は私だけでなさそうだ。

iPod tatch というわけで、「地上げや日誌」はいまではiPod用に整形した、1ページ99文字の全部で662ページのPDFファイルが残るだけで、大画面のPCでは、大変読みにくい 代物である、ページめくりがやってられない。右の写真は iPod touch の画面、これで読む段には、ページめくりが滑らかで負担にならない。

5 占 有 屋
Koukoku 私たちが立ち退いてすぐに、京都新聞の折り込み広告に『憧れの地に夢の邸宅を!!』と銘打って、19,680 万円で売りに出た。もちろん家屋ではなく、3軒の借家が建っていた 111 坪の土地のことであるが、その後広告だけでなく、当該地に右の写真のような『売物件』の看板が掲げられた。3つの看板が、まだ壊されていない家に打ち付けてあったので、一見、ぼろ家が売られているようで、滑稽であった。2ヶ月程かけっぱなしであったが、2000年1月28日に遂にこの看板は下ろされた。不動産広告には依然として掲載され続け、『売物件』の看板も出たり入ったり。値段の方は1,000万円下り、18,680万円。このような状況が1年程続いていたが、売れなかった。家屋も建ったまま、広告にはしばらく載らなかったが、2003年になって、土地を二区画に分割し、『更地渡し、1区画7,980万円』の広告が打たれるようになった。さらに3,000万円も値を下げたが、どうしても動かない。そうこうするうちに、元わが家のブロック塀の前の駐車スペースにバイクやスクーターや自転車が停まるようになっていた。そして3軒の家に表札がかけられた。どこの誰かが住み始めたのである。元わが家は「田鍋」さんがお住まいのようであった。この方が西陣の梅雨の井の件で名誉毀損容疑で逮捕された田鍋正明さんであろうか。前掲の新聞記事参照。
 いったいどうなっているのか知りたくて、法務局へ足を運んで当該地と家屋の登記簿を閲覧した。登記されるのは何らかの所有権やその他の権利を主張したり、対抗できるよう権利の登記がなされるもので、何も心配なければ登記料節約のため登記が飛ばされることはよくあることで、必ずしも現況を反映しているとは限らない。しかし、もめ事があり、いろいろ権利関係が錯綜すると登記簿はにぎやかになる。
 2003年の2月の末の登記簿を見ると、土地は岩本明という人が所有しており、抵当権設定の仮登記が1998年2月になされたままである。債券額は、1億1,000万円、債権者は岩本敏男となっている。一方、上物の家屋の所有権は、私たちの家主であった藤木元和さんから、八木実に1999年7月24日に移転している。その1週間前の7月16日付けで、八木実から「居住している様子がないので、25日から建物の解体工事を始める」という内容の「書留内容証明郵便物」が届いていた。結局、何事もなくそのまま9月末までわれわれは居着いて、賃貸借契約の解約合意書をかわして立ち退いた。
 そして、その後1年程は、必死になって売ろうとしていた様子が、上で記したような折り込み広告から見て取れる。登記簿の【乙 区】を見て、翌年の2000年6月29日付けで抵当権が登記さたことが分かった。債務者 小泉明彦、債務額 6,000万円、抵当権者として、初出の石崎妙子という名が書かれていた。さらに1年後の2001年10月24日付けで順位番号2番の抵当権設定が記載された。債務者は八木実、債権額 4,000万円、抵当権者には、これまた初出の岩本哲二という人物の名が記されていた。それと同時に岩本哲二による賃借権の設定がなされていた。格安の月12,000円、契約期間20年、特約として「譲渡、転貸ができる」と記載されている。その直後、登記簿の【甲 区】には『差押、2001年11月2日、京都地方裁判所競売開始決定 申立人 石橋妙子、同年同月26日、京都西府税事務所差押、債権者 京都府』の二項が記載されている。
sennyu-ya これらの記載から競売妨害の占有屋の姿が浮かんでくる。2002年8月に右のような新聞記事を見つけた。まさにこの種のことではないか。
 その後どうなったか知りたくて、今回この記事を書くにあたって、あらためて、法務局に足を運び、当該地と建物の登記簿の全部事項を入手した。2004年の正月まで何の動きも見られない。そして遂に、2004年2月27日付けで、石崎妙子は差し押さえ、競売の申し立てを取り下げ、3月1日に1番抵当権を放棄した。同年の6月1日、競売を妨害していた岩本哲二の2番抵当権と賃借権が、木下岩男という人物に譲渡されている。やっと土地が売買されるよう準備が整ったようである.同年6月18日付けで、土地の所有権が岩本明より八木実の「西洋建設工業株式会社」に売買された。その際、京都中央信用金庫の根抵当権が設定されている。9月29日には、八木実が債務者、株式会社鳳(貸金業者)を権利者として根抵当権設定の仮登記がなされた。そして、これらの抵当権が翌年の1月17日に放棄され、林伸三郎と云う人物に土地の所有権が移って、めでたしめでたし!、で一件落着。現在この地は駐車場として活用(?)されている。この6年間の一件で、小泉と八木「なんぼ」手に入れたのだろうか。 inserted by FC2 system